今日は山の日だそうで。
山に登ってコーヒーを淹れたりしていたのですが、最近は行きたいなぁと思いつつ山を見上げています。
正直に言うと、山で自然に触れたいとか優雅にコーヒーを飲みたいとかではなく、山頂でカップラーメンを食べたい。
普段はほとんどカップラーメンを食べないのに、山で食べているカップラーメンは妙に美味しそうに見える。
コーヒーはロケーションだというお客様がいて、この感覚に近いのではないかと思う。
今現在コーヒーに携わっているので、コーヒーを淹れるセットを持って上で豆を挽いてハンドドリップして飲むのですが、
本当はそこはコーヒーではなく、カップラーメンを食べたいのですよ。
カップラーメンはどこでどんな状況で食べるかだ。
1ルームのゴミだらけの部屋で食べるカップラーメン、夜中にこっそり起きて他の人にばれないように食べるカップラーメン、コンビニでカップラーメンと缶ビールを買って帰りラーメンが出来上がる3分間の間にビールを一口、そして我慢できずに2分で食べだすカップラーメン、それらと肩を並べるケースとして山頂でのカップラーメンがある。
(これと同じような状況で、冬の寒い早朝の釣りに行きそこで食べるカップラーメンというのもあるが、今日は山の日なので山頂にする。)
美味しいとはなんだろうとよく考える。
カップラーメンはいつもと同じ安定した味なのに、状況が変わると全く違うものになる。
違うお客様が言った、みんなそれぞれ思い出があるからな。
確かにそういうこともある。
僕らは食べているのではない、思い出を嚙み締めているのだ。
ただここで問題がある。
僕はまだ頂上でカップラーメンを食べたことがない。
思い出はないが、そこに何かあるのだろうか。
行けば分かるのか。
食べれば分かるのか。
今年こそは…